
日向かぼちゃカップ
"みんなで繋ぐかぼちゃカップ"
大会ロゴは近日決定!


代表挨拶
''上を向けば、元気がある!''
全国の気球人の皆様こんにちは!
第41回日向かぼちゃカップの実行委員長を務めさせていただきます、遠藤帆乃香と申します!
皆さんの2025年はどんな1年だったでしょうか?私はよく笑い、よく食べ、よくサボり、沢山気球をしました。どのような1年であったとしても最後は笑って締めて欲しい!そんな思いでかぼちゃカップを創って行こうと思います。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。
宮崎大学気球部3年生 遠藤 帆乃香

日向かぼちゃという気球があった・・・
「空飛ぶゾウキン」といわれ
「舞い上がるクサレ白菜」と笑われ
晩年はその体に皮膚のたるみも目立ち
手でその皮膚をのばそうとすると
たわいもなく裂けてしまうほどだった気球がかつてあった。
その気球の名は「日向かぼちゃ」
彼女は主に都城の空をその活躍の場としながら
都城の人々に大空への浪漫と気球への憧れを与え続けた。
彼女の吐き出す息で人々は目覚め
仔牛は怯えて母のもとへと走った。
彼女が、彼女を操る御主人様に逆らえずイモ畑を踏み荒らしたときも
人々は温かく寛大だった。
そんな人々に彼女は一本のイモ焼酎をそっと置いた。
こうして都城の人々は
その緑の体に白色だった大胆な十字のベルトの彼女の姿を
深く深く脳裏に刻んでいった。
- ・・・・・・・
彼女は永い眠りについていた。
彼女をつくってくれた人はもう遠くへ行ってしまった。
楽しかった愛と青春の日々を懐かしく思い出していたのだろうか。
彼女が活躍していた初めの頃は
九州でも彼女をいれて二、三機の気球しかなかった。
今では仲間もかなり増えた。
かつて彼女と彼女の父が飛んだことしかなかった都城の空を
いろんな気球がフライトするようになった。
そしてそれらは一様に彼女より派手で都会的だった。
そんな九州のバルーニスト達が集まって行っていた気球大会があった。
晩年、彼女も参加したことがある。
そして彼女が引退した1985年
彼女の名を永く後世に残そうと
その大会に「日向かぼちゃカップ」という
名前がつけられた。
第30回記念大会公式パンフレットより