"みんなで繋ぐかぼちゃカップ"

大会ロゴは近日決定!





代表挨拶

 こんにちは!今回、第40回日向かぼちゃカップ実行委員長を務めさせていただくことになりました、里山快青です。

まずは、今年も一年間本当にお疲れさまでした!皆さんにとってどのような一年だったでしょうか?楽しかったでしょうか?気球にたくさん乗れて幸せだったでしょうか?

 一方で、大変な1年だった方もいるかと思います。どのような1年であったとしてもとにかく最後は笑って楽しく一年を締めてほしい。そのような思いでこのかぼちゃカップを作っていこうと思っています。

 また、気球が大好きな気球人へ、一年を気球で初めて気球で締めれる機会をお届けできることがかぼちゃカップの魅力だと思っています。今年は節目である第40回、タイムカプセルの開封も予定しています。たくさんの想いが詰まったこの大会の成功に向けて頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。

宮崎大学気球部3年 里山快青

日向かぼちゃという気球があった・・・


「空飛ぶゾウキン」といわれ

「舞い上がるクサレ白菜」と笑われ

晩年はその体に皮膚のたるみも目立ち

手でその皮膚をのばそうとすると

たわいもなく裂けてしまうほどだった気球がかつてあった。

その気球の名は「日向かぼちゃ」

彼女は主に都城の空をその活躍の場としながら

都城の人々に大空への浪漫と気球への憧れを与え続けた。

彼女の吐き出す息で人々は目覚め

仔牛は怯えて母のもとへと走った。

彼女が、彼女を操る御主人様に逆らえずイモ畑を踏み荒らしたときも

人々は温かく寛大だった。

そんな人々に彼女は一本のイモ焼酎をそっと置いた。

こうして都城の人々は

その緑の体に白色だった大胆な十字のベルトの彼女の姿を

深く深く脳裏に刻んでいった。


  • ・・・・・・・


彼女は永い眠りについていた。

彼女をつくってくれた人はもう遠くへ行ってしまった。

楽しかった愛と青春の日々を懐かしく思い出していたのだろうか。

彼女が活躍していた初めの頃は

九州でも彼女をいれて二、三機の気球しかなかった。

今では仲間もかなり増えた。

かつて彼女と彼女の父が飛んだことしかなかった都城の空を

いろんな気球がフライトするようになった。

そしてそれらは一様に彼女より派手で都会的だった。

そんな九州のバルーニスト達が集まって行っていた気球大会があった。

晩年、彼女も参加したことがある。

そして彼女が引退した1985年

彼女の名を永く後世に残そうと

その大会に「日向かぼちゃカップ」という

名前がつけられた。

第30回記念大会公式パンフレットより


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